東安駅爆破事件
東安駅爆破事件
関係する開拓団
概要
黒咀子開拓団は880名が虎林駅から東安駅へ鉄道によって8月9日に避難したが、東安駅から林口駅の間は火災によって鉄道が不通。 現地広島村開拓団と黒咀子の大部分は別の列車に乗り込みその発車を待った。
翌10日朝、最終列車発車前に駅員が駅に火を放った。これはソ連軍による列車の鹵獲と侵攻の足を食い止める目的があったとされる。 しかしこの火が何らかの形で、列車後部に積載されていた火薬に引火。前部3両を残し後方部は爆破された。
この爆発は関東軍による意図的なものであるとの見解が一般的であるが、これを否定する証言も少数ながら存在する。
爆破を免れた前方3両は同10日正午に鶏寧県東海駅に到着したが、9日からのソ連軍戦闘機による空爆で被害を受け、駅は機能を失っていた(「麻山事件」参照)。 一同は鉄道沿いに牡丹江への避難を開始したが、11日に鶏寧付近でソ連軍の機銃掃射をうけ離散した。
犠牲者等
死者、黒咀子開拓団93名。広島村開拓団4名。 合計の死者は100名を超えるとされるが詳細は不明。