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麻山事件

麻山事件

関係する開拓団

概要

哈達河開拓団は鶏寧街(現在の鶏西市)の東に位置する東海駅に近く、8月9日のソ連参戦と戦闘機襲来を受けて林口市への避難を決定。9日午後から10日の間に開拓団を出発したが、東安駅が爆撃され鉄道が通じず、徒歩での避難を余儀なくされた。鶏寧街を通過し11日には滴道から関東軍第五軍隷下の第百二十六師団野砲兵連隊が合流し、完達山脈に沿って蘭崗、青竜を通り南下した。

青竜を通過し麻山区の凹地に差し掛かったところで、前方でソ連軍と関東軍の戦闘が勃発した。このソ連軍は麻山区の南東に位置する梨樹区から北上してきた第39狙撃師団・第75戦車旅団であった。わずかな兵力しか擁さない関東軍は劣勢に立たされた。さらに後方からは満軍の反乱部隊が接近しているとの報もあった。

この状況を受けて、K団長は「この大勢の婦女子を連れて、無事に敵の包囲を突破出来る成算はない。サイパンでも、沖縄でも同胞婦女子は敵の辱かしめを受ける前に玉砕したという。吾々は今、ソ軍、満軍を前にして、その凌辱を受けるよりも、ここで美しく散るこそ開拓民の最後の姿ではないか。自分は団の最高責任者として、婦女子と共にここで自決する。武器を持っている男子諸君はどうか吾々の最後を見届けた上で、敵を一人でも多く倒してから死んで行って貰いたい」(「宮城県開拓団の記録」鈴木文男, あづま書房, 1972)と述べ自害。これに続いて、開拓団に残った男子や関東軍は銃剣で老婦女子を殺害した。

犠牲者等

在籍者1022名(応召168名)のところ、死者約465名。

参考資料等