国家賠償訴訟

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国家賠償訴訟の概要

1972年の日中国交正常化以降、日中政府が主導して残留日本人の肉親調査や帰国事業が行われ、数千人にも上る中国残留日本人が家族と共に日本に帰国しました。 しかし彼らを待ち受けていたのは、想像していなかった程の苦しい生活でした。

このような状況を受けて2002年(平成14年)から、全国残留日本人の約9割が原告となった国家賠償訴訟が全国各地で行われました。 日本国・日本政府に対して賠償を求めた理由は多岐に渡りますが、その中でも大きい要因・裁判で主張されたのが次の二つです。

  1. 早期帰国実現義務違反
  2. 日本政府は満州国に多くの移民を国策として送出していたにも関わらず、ソ連軍侵攻等を想定した開拓団避難の計画を策定していませんでした。 また、敗戦後も中国に多くの日本人が取り残されていることを認知しながら、およそ30年間にわたってその救出のための十分な措置を講じてきませんでした(早期帰国実現義務違反)。 これらが中国残留日本人を産む大きな原因であり、結果として原告(残留日本人)が被害を被ったという主張です。

  3. 自立支援義務違反
  4. 日本に帰国した残留日本人の多くは成長過程の大半を中国で過ごしたため、日本に帰国してから言語・文化的な問題(日本語の能力の低さ,日本の社会習慣への不慣れ等)に直面せざるを得ませんでした。 これは個人の努力等によって克服される問題ではなく、日本政府によって補償措置ないし政策が取られるべきものでしたが、特段の補償措置は講じられてきませんでした。 日本語教育や職業訓練、自立支援等の政策はありましたが、決して十分なものとは言えませんでした。

    また中国帰国者の多くは安定した職を得ることができずに生活保護に頼った生活をしていましたが、生活保護を受給することによる制約により、日本語教育・職業訓練の機会が奪われる実態がありました。さらに高齢となった帰国者が受け取れる年金額は、中国に取り残され保険料を支払えなかった期間が欠格期間と見做されることにより、生活を営むには不十分な額でしかありませんでした。

    このように残留日本人が帰国を果たした後も日本政府の政策が不十分であったことにより、言語・経済・雇用等の面で極めて苦しい生活を余儀なくされたという主張です。

判決は2005年から2007年にかけて言い渡され、2006年の神戸地裁、2007年の東京地裁(残留婦人訴訟・残留孤児訴訟、敗訴)を除いた全ての裁判で、政府の義務違反を認定しつつも、国家賠償法上の請求を容認するには至りませんでした。

一連の訴訟の途中、中国帰国者に対する「新支援策」が運用される見込みとなり、国側が敗訴・上告していた残留婦人訴訟を除いたすべての訴訟が取り下げられました。

訴訟一覧

取り下げられたものは除く。年月日は判決言い渡し。

  • 大阪
    • 残留孤児訴訟

      地方裁判所(2005年7月6日)

  • 神戸
    • 残留孤児訴訟

      地方裁判所(2006年12月1日)

  • 東京
    • 残留婦人訴訟

      地方裁判所(2006年2月15日) 全文

      高等裁判所(2007年6月21日)

      最高裁判所(2009年2月12日)

    • 残留孤児訴訟

      地方裁判所(2007年1月30日)

  • 徳島
    • 残留孤児訴訟

      地方裁判所(2007年3月23日)

  • 名古屋
    • 残留孤児訴訟

      地方裁判所(2007年3月29日) 全文

  • 広島
    • 残留孤児訴訟

      地方裁判所(2007年4月25日) 全文

  • 高知
    • 残留孤児訴訟

      地方裁判所(2007年6月15日) 全文

  • 札幌
    • 残留孤児訴訟

      地方裁判所(2007年6月15日) 全文

  • 京都
    • 残留孤児訴訟

      地方裁判所(2009年10月28日) 全文