千振開拓団事件
千振開拓団事件
関係する開拓団
概要
本隊は8月13日に避難を開始するも、宮城部落とその他一部部落の数名のみが現地残留。 16日に青森部落に残留していた者が依蘭へ避難する報に触れ宮城部落も避難を決定するも、翌17日に松島部落に向かった数名が現地人の襲撃にあったことから避難を保留し対応を協議。 その日の夕方までに宮城部落が襲撃に遭い、死者多数。 母子55名は隣接する飛行場に逃れたが、毒服自殺を試み42名が死亡。
犠牲者等
在団員190名(うち応召者36名、その他不在団員5名)のところ、死亡確認116名、安否不明4名。
参考資料等
- 宮城県開拓団の記録(鈴木文男, あづま書房, 1977)
- とちぎ戦後70年 第一部 伝えねば <12>-終戦- 記憶ない戦争が人生翻弄(下野新聞, 2015/2/27)
- 千振開拓の歴史振り返る 入植70周年記念式典に130人 栃木(産経新聞, 2016/11/08)
- 「私と満洲」中込敏郎(平和記念展示資料館)